今日のフィリップ
2016年のニースアタックの犠牲者追悼式がアンヴァリットで行われた模様。
我々の社会が即反応することの長所は多々あるが、大きな欠点もある。
それはすぐに忘れ去られてしまうことだ。
忘れぬよう、ともに集おう。想うために集おう。
人の尊厳、人たるあかし、それらは今あるものであり、常にあるものである。
かけられる言葉もそうだ、思いやりのある言葉、公正なる言葉は
苦しみを癒してくれるものである。
そしてそれは武器でもある、
涙、恥じらい、自由と私たちの価値に奉仕する勇気がつめこまれた
重い武器なのだ。
再び意味付けること、それは私たちを守ることである。
パラノイアに陥ることなく、力強く、常に、即座に広がる危機から
私たちを守ることである。
私はここにオマージュを表したい、
このフランスにおける、または外国において、
正々堂々と、または秘密裏に
私たちの命を守るために自らの命を危険にさらした彼女たち、そして彼らに。
再び言葉を繰り返そう、ニースアタックの被害者たちにオマージュを捧げた時、
大統領は言った、これは「文化での、知性での、学校での戦いだ」
それこそ理性への賛歌、
人の、市民の、共和国の普遍的価値の権利宣言への賛歌である。
男たちそして女たちが、夢中になって、
勇気を振り絞りテロ行為をやめさせようとした。
それは隣人愛だ、
通りがかりのものたちがまず応急処置をした。
それから次から次へと消防士、看護師、医師らが
死から生命を救おうとした。
これこそが国家の団結だ。
それは事件の時だけではない、
その後においても、永遠と続く、非情な日常においても存在するのだ。
先の7月12日に、私はエリザベス・ペレスを、各省間の被害者救済代表に任命した。
そうすることによって、私は願っているのだ、
被害者に対する対応が各省間の次元で再び見出されることを。
なぜならそれはひとつの行政の仕事、サービスはなく、
共和国全体の任務なのだ。
訳初挑戦。難しい…